~日本の傳統信仰・加美奈賀良に基づく思想運動~

活動紹介 平成廿七年度

※ 全ての活動を掲載してゐる譯ではありません。


二月


 本會が初めて行なつた活動。マスコミがイスラム過激派「ISIL」を「イスラム國」と呼ぶ事に因つて、善良なイスラム圈のアジア諸國、とくにトルコやインドネシアが日本國民から誤解を受け、罵聲を浴びせられると云ふ事案が發生した。
これを受け、本會々員がテレビ局にその呼稱を改めるやう要請する電話をかけ、嫌がらせの被害に遭つてゐる「名古屋モスク」や「東京ジャーミー」に激勵の電話やメールを送信した。
また、第五十八囘建國奉祝式典(埼玉建國奉祝會主催)に參列した會員がマスコミへの要請、勵ましの電話の協力を促す印刷物を參列者に配布し、その御協力の呼びかけも行なつた。


四月



 四月廿九日、昭和節の佳日、一般社團法人 昭和神宮御創建實行委員會が主催した「奉祝 昭和節 國民集會」に本會々員が參加し、昭和神宮御創建實行委員會とゝもに、四月廿五日に發生したネパール大地震のための義援金募金活動を竝行した。


五月



 本會は五月五日 子供の日に、第二囘 ネパール大地震救援募金活動をJR櫻木町驛前にて行つた。
參加人員二名、活動時間二時間であつたが、五千二百七十九圓集まつた。 筆者が參加する昭和神宮御創建運動の先輩である福原聰氏の巧みな呼びかけが功を奏した結果である。
 幾人かの子供たちが嬉しさうに百圓玉を募金して呉れた事は大變な勵みとなり、今囘の募金活動の繼續を決意した。
 尚、前回と同樣に集まつたお金は撮影し、Twitter (昭和神宮御創建實行委員會のアカウント) に證據として畫像を掲載した。
 當然の事乍ら、本會が集めたお金は一圓たりとも漏らす事無く、全額をネパール大使館、及びネパールとの繋がりの深い、「ヒマラヤ山嶽協會」「ヒマラヤ觀光開發株式會社」宮原巍先生にお渡しする。



 五月十八日、本會は昭和神宮御創建實行委員會常任理事・森川俊秀氏の多大な協力を賜る事によつて、ネパールと關係の深い久野登久子先生同伴のもと、ネパール大使館に訪問し、募金活動のお金一萬五百圓をネパール大使MADAN KUMAR BATTARAI博士に直接お渡しした。
殘金とこれから集まる全額は六月に宮原巍先生に託す豫定。




 五月廿四日、本會は第三囘ネパール大地震救援募金活動を展開した。
參加人員三名と少なかつたが、何故かひつきりなしに募金が集まつた。
計 三萬二千百八十二圓(加へて臺灣・壹圓銀貨一枚・伍圓硬貨一枚)であり、實質二時間半であるので、結構な成果であつたのは間違ひない。
このお金は、前回の殘金に幾分足した金額八千圓と合はせて全額四萬五百圓を「ヒマラヤ觀光開發株式會社」にお預けし、假設住宅(大型テント)の資金に充てゝ頂く豫定。
原口昌人(本會埼玉縣本部代表)竝びに赤須美香兩名の熱心さが通行人に傳はつたのであらう。
全ての募金をして下さつた方々に對して、誠心より感謝を申し上げます。
我々は、親日アジアの國の人々の「信用」をかちとりたいと思つてゐる。

 


 五月廿四日の新宿驛西口での募金活動の一コマ 「NHK撃退編
 NHKの取材班が本會が募金活動をしてゐる隣に來て、他のサヨクと思しき募金グループを取材し始めた。(彼らは募金をしてゐる樣子を撮影向きに演じてゐた)
我々の擴聲器の音は、何となく彼らの集音機に侵入するであらう程度の距離にゐたので、參加者の一人は次のやうな「普通の言葉」を連呼をした。
「私たちはボランティア團體・アジア友の會です」(このやうな活動では「アジア友の會」を名乘る)
「アジアは日本を憎む中國朝鮮韓國だけではありません」
「アジアの中で中國朝鮮韓國だけが日本を憎んでゐるのです」
「アジアの親日國・ネパールを救援しませう」
「台灣は私たちに世界最高額の義援金を送つて呉れました」
「親日國・ネパールを助けませう」 等々

特に、「アジアの親日」「台灣」「中國朝鮮韓國だけが日本を憎んでゐる」てふ單語を多用した。
さうしたところ、彼らは向かうの人混みの多い撮影しにくい場所へ移動して了つたのであつた。

何でだらう乎。
 

 


六月


 六月某日、某所にて行なはれた左翼の催しに本會の神奈川縣本部の會員數名が潛入調査。
各々時間をづらして入場し、綿密に調べ、そしてくまなく記録した。
このやうに本會々員は左翼、その他の集會等にも潛入し、調査活動を展開してゐるのである。


 六月四日、大久保で開催された「六四天安門事件26周年記念集會」に本會々員も參加した。

支那では一週間ほど前から、パソコンで檢索エンジンに入力出來る「數字」がこの三つだけなのだといふ。

「4689」が拔けてゐる。
それは、89(西暦1989年)64(6月4日)を檢索させない爲であると謂ふ。


 六月廿七日、宮原巍先生と對談
去る六月廿七日、久野登久子先生及び昭和神宮御創建實行委員會の常任理事、森川俊秀氏に筆者が随行して、宮原巍先生と會談した。

筆者はまづ第一大地震に見舞はれた親日國ネパールの現況や、「今どのやうな事をネパールが求めてゐるか」、ネパールの政治状況等のお話をお聽きした。

そして 今上陛下の御事、アジア各國の事等、話題は多岐に渡り、アルコールの作用も相まつて緊張がほぐれ、樂しく歡談させて頂き、我々の運動の意義に就てもお傳へした次第である。

 

今囘宮原巍先生が、多忙をきはめる日程を裂いて我々にお會ひして下さつたのは、森川氏が久野先生とお付き合ひがあり迅速に事が運んだのと、すべては草地貞吾先生の御靈のお導きに他ならないと信じてゐる。(筆者と森川俊秀氏は草地先生との繋がりにより知遇を得た)

そしてお預かりしてゐる義援金に就ては、茲ではまだ敢へてお名前を出さないが、次囘ある人物に、殘りの全額に更に上乘せをした五萬圓をお渡しする事に決定した。

その事は、間違ひなく當サイトにてご報告する。(和田 伸也)

  ところで、「酒に十德あり」と謂ふ。

大抵の場合、左翼は活動を終へた後の懇親會等で酒を呑まないのではないかと思ふが、日本人の場合は酒が無ければ何も始まらないのである。

酒は日本人にとつて神の呑み物に他ならない。
それは、太古の昔より續く傳統であり、「共食・共飮・神人和合の儀禮」であつて、マライポリネシヤ系諸民族共通の精神文化なのだ。
 
酒に十德あり
酒は百藥の長、壽命を延ばす、旅行に食あり、寒さに衣あり、推參に便あり、憂ひを掃ふ玉箒、位無くして貴人と交はる、勞を助く、萬人和合する、獨居の友となる。

 

西楼厨(せいろうず)

 

當日お聽きした久野登久子先生の言葉

「相手の爲に何をやるべきなのか、何をやるべきではないのかを何時も考へなければいけない。それが今の日本人に缺けてゐる事だと思ふ。」
大變意義深い一時であつた。


七月


 七月廿日海の日。本會々員は神奈川縣藤澤市江ノ島に鎭坐まします日露戰爭で活躍した明治の御代の軍人・兒玉源太郎お奉齋した兒玉神社に參拜し、 天皇尊彌榮、邦家の安寧、親日アジア諸國の平和を祈念した。


八月


 八月四日、本會々員は石川縣護國神社にて執り行はれた大東亞聖戰祭に參列した。


 八月十五日、終戰の日。本會々員は靖國神社參拜後、台灣研究論壇が毎年行つてゐる 「台灣を中國領とする文科省の敎科書を許すな!」街宣・署名活動に參加し、台灣を中華人民共和國の一部として扱つてゐる我が國の誤れる社會科敎科書・地圖帳の是正を求めた。
台灣研究論壇が訴へてゐる「台湾獨立」とは、勿論中共からの獨立ではない。
台灣は、たゞの一度も中共の領土と化した事はなく、國際法上その地位は未定なのである。
同會の主張する獨立とは、不法な中華民國體制からの獨立であり、台灣人による獨立國家建國を日本人の立場で應援してゐるのである。

熱辯を振るふ台灣研究論壇の永山英樹會長

 亦た同日、久野登久子先生と、演歌歌手の黒岩安紀子女史が行はれた千人針運動のお手傳ひをした會員も居た。
集めた千人針は、來年御遺骨收集に海外に赴く人々にお渡しする事となつてゐる。


九月


 九月五日、本日は活動と云ふよりも親睦を兼ねて本會代表以下會員數名にて代々木公園にて催されてゐた「アセアンフェスティバル」に赴いた。
印度尼西亞フェスティバルは十月に開催なので出店はなく、泰王國や印度、何故かペルー等が出店してをり、比較的盛り上がつてゐたが、參加各國の文化が餘り紹介されてをらず、極めて無國籍的であつたと云ふのが、その日に集まつた會員の共通意見であつた。
 印象的だつたのは日の丸とパレスチナ旗がはためゐた事である。
 本會の立場は中立といふよりも、その對立には一切干渉しない方針である。
たゞ、日の丸を掲げて呉れるのは素直に嬉しいものである。


 舞台での曲の演奏は印度尼西亞で流行中の洋樂。


十月


 十月廿一日、靖國會館にて催された御遺骨收集の團體である「全國ソロモン會」の總會に本會々員が出席。


十一月


 十一月十五日、本會々員は川崎市國際交流センター(神奈川縣川崎市中原區木月祇園町二の二)にて催された「川崎市外国人市民代表者會議・オープン會議」に參加。
同會議は毎囘「外國人支援と多文化共生のための地域の拠点づくり」なる欺瞞的なテーマを掲げてゐる。何が欺瞞的であるかと云へば、同組織は中共・韓國・朝鮮と云ふ、所謂特定アジア三國に偏重してゐると同時に、多文化共生なるおためごかしの薄つぺらな理想を川崎市民の了解も得ずにおしすゝめて、日本文化を隅に追ひ遣る活動を行なつてゐる點である。
今囘は發言をする機會を得たが、主催者側の持つ意見と異なるやうな意見は恣意的に取り上げないと云ふ偏重振りなのである。
同會議は反日的な韓國人と左翼思想の持ち主(職員)によつて一方的に運營されてゐる。
今囘特筆すべき事は、會議後に催された懇親會の席上、本會々員が政治的な事にも觸れずに、ごく普通の態度で韓國人の參加女性(大學職員・K)に話かけたところ、「あなたとは話したくない」といきなり憤り、「日本人も犯罪を多く行つてゐる!」などゝ意味不明の事を叫んだ事實である。
國籍云々よりも、まさに人間として最低の態度であつたが、その事を他の國の外國人に話したら、「相手にしないはうがいゝ」とたしなめられたり、見てゐた他の國の外國人は苦笑しながら「バカだ」と述べてゐた。
このやうな非常識かつ西洋流に謂へば「TPO」も辯へる事さへも出來ない國の國民を「特別扱ひ」してゐるのが川崎市及び「川崎市外國人市民代表者會議」なのである。

從つて、本會は同會議の解體を目指してゐる。
尚、一緒に出席をした保守系團體「クリーンかわさき聯絡會」代表の高橋賢一氏は長年に渡つて同會議に出席し鬪はれてゐるが、昨年は一切の發言を禁止していたと云ふ。

 

親日國の國民の人權を蹂躙して憚らない川崎市外國人市民代表者會議
 本會々員の和田伸也は平成廿三年に同會議に出席した折、市民代表者の一人である台灣人の國籍をパンフレットに「中國」と記してゐるのを發見し、すぐさま抗議をしたが、まつたく不誠實な對應であつた爲、台灣研究論壇の永山英樹會長の全面協力を得て、大きな抗議活動に發展した事があるのである。(參考URLhttp://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2052.html)
 これには大勢の台灣人も憤つてゐたものである。
反日國を優遇し、親日國々民に對しては人權を踏み躙つて憚らないのが「川崎市外國人市民代表者會議」であり、すぐにでも解體されなければならない。

終了後は參加者と近くの台灣料理屋にて一獻