~日本の傳統信仰・加美奈賀良に基づく思想運動~

設立趣旨


 日本國民は戰後長らく、大衆媒體や誤れる戰後の洗腦教育に因つて、吾が國を憎惡し吾が國に弓を引く惡性なる「特定アジア三國」のみを恰も「アジアを代表する三國」であるかのやうに認識させられて來た。
テレビ番組の番組名や地方公共團體等が主催する催しに於て「アジア」を冠するものの多くは、其の特定アジアに因んだものであり、大抵の場合執拗なまでに「平和」を謳ふ。
然し彼奴らは、その平和を保つ方法として、我ら日本人に犯してもゐない罪を被せた上で、傲慢で無禮極まりない特定アジア三國に對し土下座して詫びる事や卑屈なる態度を取る事を强要し、我らの父祖たちに唾を吐きかける事を奬めて來たのである。
其の結果、特定アジア三國の增長は止まる事を知らず、疑念の餘地なく吾が國に對して侵略の毒手を伸ばし、我ら國民に有形無形の壓力を絕へず行使し、言論を封殺し、「權利」と稱しつゝ鴟梟の欲を恣に求めるに至つたのである。

 日敎 組や全敎 が推進して來た「平和敎 育」と云ふ名の「戰後敗北主義敎 育」は多くの無國籍人間を製造したが、其の弊害の最たるものは行き過ぎた個人主義=エゴイズムである。
其れゆゑに、其の放逸なる思潮を「自由」と呼び、國家の主權が侵されようが一顧だにせぬ者が量產 され、國家主權をも金で賣り飛ばすやうな、文字通りの「賣國奴」が大手を振つて罷り通る有樣が現出したのである。
此れを畸形國家と呼ぶのである。否、國家の體すら成してはゐないのだ。
其の大勢の無關心層も、特定アジアの增 長が、自らに對してをも明白に害し得る程に及ぶに至つた爲か、漸く危機感を抱き始め、次第にナシヨナリズム的主張が市民權を得るやうにはなつて來た。
 乍然、ナシヨナリズムなる觀念は 皇國に於ては齟齬を來たすものである。抑、吾が國は人工國家ゆゑに態々拵へざるを得ぬ「ナシヨナリズム」なるものが通用する諸外國とは固より次元を異にしてゐるのであるが、その類の意見が或る程度認知されるやうになつたのは、矢張り大きな前進であると判斷出來るだらう。

併し彼の勢力は未だ脆弱であり、近年は些か惰性に流されつゝある感を受けざるを得ないのである。

 如何にして其の狀况を脫するかと云ふ事と、斯くの如きな良識に目覺めつゝある國民に依る運動進展の爲の方策を考へた時、次のやうな囘答が導き出される。
 卽 ち、之れより興さねばならぬ運動は、新しき發想に基づくものであると同時に、先づ以て正しき傳統精神を内包させたるものであるべきなのである。而して反日勢力が國際聯帶をしてゐるやうに、國際的な運動への發展を期するやうなものでなければならないと考へるのである。

 

紀元 貳仟陸佰柒拾伍年  皐月吉日


(平成卅年五月四日に一部加筆訂正)